2006年09月17日
アンチッチのプロフィール
ど~も庭球少年です
今回は僕の好きな選手であるアンチッチを詳しく紹介します

マリオ・アンチッチ(Mario Ancic, 1984年3月30日)
クロアチア・スプリット出身
得意サーフェス・芝
使用ラケット・YONEX ULTIMUM RD Ti80
デ杯クロアチア代表
両手打ちバックハンド
身長195cm、体重81kgの長身の男子プロテニス選手。
クロアチアの先輩選手ゴラン・イワニセビッチと同じスプリット出身で、顔立ちも試合中の挙動もよく似ていることから、「イワニセビッチ2世」と呼ばれることが多い、また任天堂の人気キャラクター「マリオ」にちなんだ“スーパーマリオ”というニックネームもある。
7歳からテニスを始め、10歳の時からゴラン・イワニセビッチと一緒に練習するようになった。この少年期に、アンチッチは先輩選手のイワニセビッチから色々な事を学んだ。
ジュニア時代には、2000年のウィンブルドン男子ジュニア部門で準優勝がある。
2001年に17歳でプロ入り
翌年2002年のウィンブルドン1回戦で、アンチッチは第7シードのロジャー・フェデラー(現世界王者)を 6-3, 7-6, 6-3 のストレートで圧倒した。続く2回戦で敗れたが、この勝利で「イワニセビッチ2世」は一躍有名になり、現地イギリスの新聞から「スーパーマリオ」のニックネームもつけられた。
2003年は全豪オープンでファン・カルロス・フェレーロとの4回戦まで進み、全仏オープンの2回戦では第1シードのアンドレ・アガシを 7-5, 6-1, 4-6, 2-6, 5-7 のスコアで負けたが、最初の2セットをとるという大健闘をした。
2004年はウィンブルドンでさらなる成長ぶりを発揮し、アンディ・ロディックとの準決勝まで進出したが、4-6, 6-4, 5-7, 5-7 で負けはしたが当時のアンチッチにとっては素晴らしい結果だった。
同年のアテネ五輪にもクロアチア代表として出場し、イヴァン・リュビチッチとペアを組んで男子ダブルスの銅メダルを獲得した。この年はATPツアーで4度の準優勝があるがツアー初優勝は果たせなかった。
2005年6月、マリオ・アンチッチはウィンブルドン前哨戦の1つであるオランダ・ハートゲンボッシュの芝生の大会でついにツアー初優勝を飾った。
同年10月に日本の「AIG・オープン」にも出場したが、決勝でロシア南アフリカのウェスリー・ムーディに 6-1, 6-7, 4-6 の逆転で敗れ、年間2勝目とはいかなかった。
同年12月にデビスカップのワールド・グループ決勝戦でクロアチアとスロバキアが対戦した。会場はスロバキアの首都ブラチスラヴァで行われたが、アンチッチとリュビチッチのコンビが活躍し、「3勝2敗」でクロアチアにデ杯初優勝をもたらし、クロアチアのヒーローとなった。
2006年は全仏オープンで初めて準々決勝に進出したが、ロジャー・フェデラーに 4-6, 3-6, 4-6 のストレートで敗れ去った。
オランダ・ハートゲンボッシュ大会で大会2連覇を達成した後、ウィンブルドン準々決勝でもフェデラーに連敗する。ウィンブルドン終了後、アンチッチは初めての世界ランキングトップ10入りを果たし、自己最高の7位に食い込んだが、怪我によりシンシナティやUSオープンには出場ならずランキングを12とする。
そして今、復帰戦のチャイナ・オープンでは決勝まで駒を進め、キプロスの英雄バグダティスと対戦する。
いや~
時間がかかった
今度はロディックのプロフィールに挑戦しますので期待しててください
1クリックプリーズ →

記事に一部、間違いがあったので訂正しました
ついでに読みづらいので記事全体を改善しました
今回は僕の好きな選手であるアンチッチを詳しく紹介します

マリオ・アンチッチ(Mario Ancic, 1984年3月30日)
クロアチア・スプリット出身
得意サーフェス・芝
使用ラケット・YONEX ULTIMUM RD Ti80
デ杯クロアチア代表
両手打ちバックハンド
身長195cm、体重81kgの長身の男子プロテニス選手。
クロアチアの先輩選手ゴラン・イワニセビッチと同じスプリット出身で、顔立ちも試合中の挙動もよく似ていることから、「イワニセビッチ2世」と呼ばれることが多い、また任天堂の人気キャラクター「マリオ」にちなんだ“スーパーマリオ”というニックネームもある。
7歳からテニスを始め、10歳の時からゴラン・イワニセビッチと一緒に練習するようになった。この少年期に、アンチッチは先輩選手のイワニセビッチから色々な事を学んだ。
ジュニア時代には、2000年のウィンブルドン男子ジュニア部門で準優勝がある。
2001年に17歳でプロ入り
翌年2002年のウィンブルドン1回戦で、アンチッチは第7シードのロジャー・フェデラー(現世界王者)を 6-3, 7-6, 6-3 のストレートで圧倒した。続く2回戦で敗れたが、この勝利で「イワニセビッチ2世」は一躍有名になり、現地イギリスの新聞から「スーパーマリオ」のニックネームもつけられた。
2003年は全豪オープンでファン・カルロス・フェレーロとの4回戦まで進み、全仏オープンの2回戦では第1シードのアンドレ・アガシを 7-5, 6-1, 4-6, 2-6, 5-7 のスコアで負けたが、最初の2セットをとるという大健闘をした。
2004年はウィンブルドンでさらなる成長ぶりを発揮し、アンディ・ロディックとの準決勝まで進出したが、4-6, 6-4, 5-7, 5-7 で負けはしたが当時のアンチッチにとっては素晴らしい結果だった。
同年のアテネ五輪にもクロアチア代表として出場し、イヴァン・リュビチッチとペアを組んで男子ダブルスの銅メダルを獲得した。この年はATPツアーで4度の準優勝があるがツアー初優勝は果たせなかった。
2005年6月、マリオ・アンチッチはウィンブルドン前哨戦の1つであるオランダ・ハートゲンボッシュの芝生の大会でついにツアー初優勝を飾った。
同年10月に日本の「AIG・オープン」にも出場したが、決勝でロシア南アフリカのウェスリー・ムーディに 6-1, 6-7, 4-6 の逆転で敗れ、年間2勝目とはいかなかった。
同年12月にデビスカップのワールド・グループ決勝戦でクロアチアとスロバキアが対戦した。会場はスロバキアの首都ブラチスラヴァで行われたが、アンチッチとリュビチッチのコンビが活躍し、「3勝2敗」でクロアチアにデ杯初優勝をもたらし、クロアチアのヒーローとなった。
2006年は全仏オープンで初めて準々決勝に進出したが、ロジャー・フェデラーに 4-6, 3-6, 4-6 のストレートで敗れ去った。
オランダ・ハートゲンボッシュ大会で大会2連覇を達成した後、ウィンブルドン準々決勝でもフェデラーに連敗する。ウィンブルドン終了後、アンチッチは初めての世界ランキングトップ10入りを果たし、自己最高の7位に食い込んだが、怪我によりシンシナティやUSオープンには出場ならずランキングを12とする。
そして今、復帰戦のチャイナ・オープンでは決勝まで駒を進め、キプロスの英雄バグダティスと対戦する。
いや~
今度はロディックのプロフィールに挑戦しますので期待しててください
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記事に一部、間違いがあったので訂正しました
ついでに読みづらいので記事全体を改善しました







ムーディーはアフリカの人だよ~・・・。
気に食わなかったら、このコメントは削除して訂正しちゃってね!
でも、これ全部自分で調べて書いたんなら凄いと思う。
俺のHPのリュビチッチのプロフィールなんてどっかのコピーだもん(笑)
訂正します。
コピーと言うか色々なサイトを参考にして自分なりに書き換えました。
ただ、かなりの時間を費やしましたよ。